- Hagen Toufh -

 マヤ Maya

 ユカタン半島にかつて存在したとされる滅びた文明。マヤとはマクロ・マヤ語源を扱う人々の事で、彼等の持った文明をマヤ文明と呼ぶ。その歴史は古く、紀元90年ごろに、マヤの基礎たるテオティワカン文明が始まったとされている。1697年に最後のマヤ都市であるペテン・イツァがスペイン人によって陥落されマヤ崩壊となったが、実際はそれよりも200年以上前、1400年には既にマヤは崩壊と言っても過言ではない衰退を見せていた。原因は不明。近年では、二人の兄弟による権力争いが原因とされている。

 さて、そんなマヤであるが、信仰していた神々は一言で言うならば多神教。この神々は老化すらするという風変わりな物である。最も有名なのが羽毛の生えた水蛇たるケツァルコアトル(他にもククルカン・グクマッツ・エヘカトルとも呼ばれる)を中心とした神々であろう。しかし、彼等の物語は乏しい。各々のエピソードは多々ある物の、マヤ文字が未だ解読中である事から、彼らの物語を完全に把握する事は難しい。何より、スペイン人の手によって多くのマヤ文献が焼却されてしまったため、その詳細は不明瞭なままである。

 マヤ文献において最も有名なのはポポル・ブフ(Popol Vuh)と呼ばれるキチュ・マヤ人の聖書だろう。1554年から1558年に書かれたとされる書物で、始祖父神シュピヤコクと始祖母神シュムカネによる創造譚や、英雄の双子のシバルバ(地下世界)への冒険譚、1550年までの統治者系図などが記されている。マヤの神話と呼べるもののほとんどがこの一冊に入っている。しかし、この書物は18世紀初頭に発見され、現在は行方不明である。発見者のフランシスコ・ヒメネス神父がスペイン語に訳した写本がシカゴのニューベリー図書館に保管されているが、前記した通り、マヤ語は未だ解読されきっていない文字である。ポポル・ブフに書かれた伝承が、果して現在知られている伝承通りなのかどうかの保証は無い。

 確実に言えることは、ポポル・ブフに書かれたマヤの神々が全てという訳では無い。何せ、マヤとは言え一国だったわけではなく、複数の国家を統括して文明と呼ぶわけであるから、その信仰や主神も複数存在する。ただ、そのどれもが共通して太陽を重要視している。それは、太陽が穀物を育て、光をもたらす至上のものであったからである。太陽は夜になるとシバルバ(地下世界)を巡り、再び地上に戻ってくる。人々はその事に喜び、感謝し、祈りをささげた。

 その事項で欠かす事ができないのが人身御供だろう。マヤといえばその血塗られた生贄儀式が良く知られているが、それほど頻繁に人間の生贄が捧げられたわけではない。前記した通り、マヤの信仰は一つではない。中には生贄を行わない宗教もあったようだ。しかし、共通して戦死・出産死・生贄死は名誉な物とされ、その一方で死を非常に恐れていた。しかし犠牲者の血は時間の流れを滞り無く進めるためのエネルギーであったため、必要不可欠なものであった。アステカでは政治的な意味合いにおいても重要だった人身御供の規模は大きくなっていったが、マヤでは血そのものを重要視していたために、王による流血儀式や動物の生贄等で代行されている。ヤシュチラン第24リンテルと呼ばれるレリーフでは、王と思われるマヤ人男性のペニスと、女性の舌を用いた流血儀式が行われている。太陽が再び昇らなければ、文明は確実に崩壊する。太陽の恵みの尊さを彼らは十二分に知っていたからこそ、彼等は血を求め、絶えず捧げ続けなければならなかった。血の儀式は明日を迎えるための祈りと、今日の喜びに感謝するものだったのである。

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